CADBOLL が其処に在る理由
誰にも知られたくない、秘密の場所。
人は誰しも、そんな居心地のいい空間を求めているのではないだろうか。
BARで酒を味わうことは、特にパーソナルな空間としての過ごしやすさが求められる。
このBAR CADBOLL(バーカドボール)には、そんな癒やしの空間がある。
大事にしたいと思わせる何かがある。
高校時代、野球の強豪校で汗を流した店主の林壮一は20歳の頃、BARの世界に足を踏み入れた。
やがて師匠となるBar Leigh北新地の早川恵一氏の下で研鑽を積み、 BAR不毛の地であった天満橋で、この店を開く。
1999年12月のことだった。
小渕恵三首相の時代で、コギャルがヤマンバギャルに変節した世紀末。
大阪では、中堅の腕利きバーテンダーが次々に独立し、群雄割拠の時代だった。
いずれも、大阪最大の繁華街、北新地やミナミに根城を築く中、 官庁や企業が軒を連ねる天満橋での開店。
なぜ? それまでの常連や関係者も首をひねった。
だが、天満橋だからこそ、カドボールという癒やしの空間は醸成されていく。
1メートル90近い林は、柔和な笑顔で器用に手首を回してステアする。
カウンターに並ぶのは、品を携えた少し年配の客層。
カウンター越しにマスターと対峙する空間は、マスターのもてなしにより、仕事帰りの癒やしの空間となっていく。
江戸時代には、川の北岸にあった天満市場と市政の生活をつなぐ要衝でもあった場所に、 新たな憩いの場が生まれたのだ。
同時に、数々のカクテルコンペに挑み、その実力は円熟の境地に。
コロナ禍を乗り越え、若いお客様も増えている。
カドボールとは、スコットランドのウイスキー、グレンモーレンジの醸造所にあるゲストハウスの名前。
ゆったりとした安らぎの空間を紡いで四半世紀。 新たな境地に進んでいく。
(WEBライター 清水泰史)